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先日仙台へ行ったことを書きましたが2日目に震災のあった場所を訪れました。
仙台の地理が全くわからないのですが、駅周辺、繁華街は全く影響がなかったようで普通の街並みでした。朝ホテルを出て海岸方面へ車を走らせました。30分ほどしたころからダンプカーの数が増えてまいりました。京都や島根といった県外ナンバーのダンプカーも見ました。
最初に訪れたのは、岩沼市にあります千年の希望の丘でした。駐車場に車を止め海岸方面へ歩いていきますとやがて下のような写真の光景がありました。
本当にこのあたりに家があったのかな?と思うほど何もなく、途中、基礎だけになった家の前で男性がしゃがんでおられる光景もありました。
奥の海岸線には高さ10mの防波堤が永遠と建設されていました。若干松林がありますが、ほとんどがなぎ倒されました。またなぎ倒された木々が流木となり、またその木々が家々を破壊した行ったそうです。その教訓から現在は流されにくい木の植樹また後方には雑木林を作る計画でおられるようです。またその周辺にポツポツと高さ10mほどの土で作られたお山がありました。避難のためだそうです。何十年、何百年後にはこのようになるといった絵もありました。またこの近辺はもう誰も住むことは出来ないと運転手さんから聞かされました。
その後少し移動しました。下の写真の奥には仙台空港が見えます。
この近辺にお住いの方も多くおられて、このあたりからは全く空港が見えなかったそうです。基礎だけ残ってトイレが丸見えの状態の家など、以前はこうでしたといった写真が家の前に絵で描かれて掲示してありました。
また下の写真は、家主さんが震災を後世に伝えたいという思いから壊さずにそのまま残されておられました。写真は正面からですが裏に回りますと今にも崩れるのではないかな?といったほどえぐり取られた状態でした。
仙台は永遠に平地が広がっていまして震災時は津波が奥へ奥へと入って行ったそうです。石巻地方などのようにあたりに山々がないので引き波もなかったそうです。
運転手さんいわく、初めに報道があったと思いますが、〇〇地域に200名のご遺体がありますと。三陸地域では引き波で海へ流された方が多かったのですが仙台では多くのご遺体が陸地で見つかったそうです。
こちらは名取市にあります閖上地区です。写真は小高い丘の上から取っているのですが、津波が来た時にはこの丘にも多くのがれきが残っていたそうです。つまりこの丘に避難していても助からなかったそうです。見渡す限り家々があったそうですが、何もありませんでした。
最後に運転手さんが、小学校で多くのお子さんが亡くなった報道をお聞きしていると思いますが、その中でも何人かのお子さんは助かったそうです。当時先生の指示で多くの児童が校庭で待機をしていたのですが、助かった子供はその先生の指示を無視して非難をしました。つまり最後は自分自身の判断が大切ですと言われておられました。
テレビで見るしか我々にはわからないのですが、まだまた復興までには時間がかかりそうです。また現在でも仮設住宅で多くの方が非難をされておられました。
すべての方が幸せに様々な問題が解決するには想像を絶する時間が必要かなと実感しました。
そして今私が出来ることを微力ではありますが続けていきたいと思いました。
1日も早い復興を心よりご祈念申し上げます。
生かさせていただいていることに感謝です。
Komen